家族があるべき本来の姿とは

対談

松原武久(前名古屋市長)
植木広次(東海典礼代表取締役)

「個」の時代と言われる現代。
バーチャルの世界に心を奪われる子どもたちに
生命の尊さを教えるには?
家族の絆を深める方法は?
そして、いまご自身が思う人生とは…。
前名古屋市長、松原武久氏にお聞きしました。
聞き手は、鷲塚美知代さん(フリーアナウンサー)

鷲塚 松原前市長にお話を伺います。どうぞよろしくお願いします。

松原 よろしくお願いします。

鷲塚 現代の日本では、ニュースなどでも話題になっているように、親子聞の愛情の不足や、 家族の結びつきの希薄さを原因とする事件が多くなっているように思うのですが…。

松原 日本が高度成長時代にあった頃、核家族化が進みました。単身赴任が増えるなど働き方の変化が家族の姿も変えたのです。 三世代がいっしょに暮らすのが当たり前であったのが、バラバラでも別に不思議でも何でもなくなってしまった。 また、一緒に住んでいても、家族揃って楽しく食卓を囲むという風景も少なくなってしまいました。

鷲塚 そうなると当然コミュニケーションも不足がちになるでしょうし、いろいろな問題が増えてくる気がします。

松原 日本には伝統的な行事がいっぱいありますね。例えばお盆。せめてお盆の時くらいは、お寺さんに家族が集って 、亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんの話をするなどして家族の鮮を深めてほしい気がします。

植木 そういうことが自然に行える家族であれば、少なくともニュースにもなっている「自分の親がどこにいるかわからない」などということにはなりませんね。

松原 そう思います。わが家では正月3が日は、家族は必ず家にいるようにしています。特に元且はお寺さんへ行って、 みんなでお参りをする。お盆は遠くにいる者も、できるだけ集まるようにしています。ここで大切なのは 「家族は仲良くしなきゃいけないからみんなで行こう」なんてことは言わないこと。言葉にはしなくても、 そういう折々の行事を通じて鮮を確認することが大切だと思います。

鷲塚 ところが、お正月やお盆と言うと、真っ先に頭に浮かぶのは大型連休であり、レジャー…。ご先祖様に意識が向くことは少ない。

松原 教育の問題もあるかもしれませんが、お寺さんやその他の宗教施設が本来の存在意義から少し離れてしまったことも原因かもしれません。 もともと寺は教育機関でもあったのですが、現代では単に仏事だけを行うところが増えてしまいました。和尚さんだけでなく文化人や 場合によっては芸能人の方でもよいでしょう。人生を考え、練り鍛えられる貴重な話が聴ける場にすることです。本来寺が担っていた 教育文化的役割を意識して変えていけば、もっと魅力あるところになると思います。

鷲塚 現代人は孤独と言われています。寺がそういう場になれば、孤独感も癒されるかもしれませんね。

命の尊さを知る。

鷲塚 松原さんは自ら教育の場に携ってこられたご経験から、子どもたちに命の尊さを教えるには何が必要だと思われますか?

松原 もう少し自然の中に踏み込んで実体験をしてほしいなと思います。私自身が命というものを実感したのは、幼い頃夏の矢田川に素足で入り歩いていた時です。 ふと足の裏に小さな感触を覚えました。小さなハゼの仲間だったんですね。いま思えば「ああ、こんなところにも魚がいるんだ」と生命の力強さと不思議を 感じた瞬間だったのではないかと思います。

植木 いまの子どもたちは、電車の中でもケータイやゲーム機に夢中です

松原 バーチャルの世界に浸っていますね。一度死んだものもリセットボタンを押せば簡単に蘇ります。そうではなく、実体験をしてほしいものです。例えばヒヨコを両の掌で包んでみる。小さいけれど確かな命を感じるはずです。強く握れば死んでしまう。命の大切さとはかなさを知ってほしいものです。

鷲塚 親子で体験したいですね。

松原 そうですね。いまは何でも塾に頼る傾向がありますからね。 稲刈りも塾。逆上がりを教える塾まである。

鷲塚 何でもおまかせ…

松原 私はそれを「委託化」と言っていますが、それではいけない。親子で一緒に自然の中に入っていって植物のこと、虫や動物のこと、そして命のことなど 、さまざまなことを体験してほしいものです。生き方にもです。

もうひとつ。いまの子どもは肉親の「死」というものに、接したことがあまりないように思います。 想像やテレビ、ゲームの世界ではもちろん知っていても、実際におばあちゃんが息を引き取る姿は見ていない。 私は残酷だと言わずに子どもにもそういう姿を見せるべきではないかと思います。目の前で苦しむ姿を見ることで、 死を意識せざるを得なくなり、それは己の死を考えることにもつながります。もちろん、生き方にもです。

スマートで上品なお葬式とは。

鷲塚 肉親の死という話が出ましたが、最近「家族葬」のような形式のお葬式が増えていると聞きますが…

松原 個人的に言えば、知らない内にビルの一室に上がって行って、ちょこちょこっと済ませられてしまうのは、 あんまり私の気持ちには沿わないですね。信仰があるないは別として、つながりのあるお寺さんのようなところで、 心のこもった家族葬をやってもらいたいと思っています。

鷲塚 家族だけでなく、故人が親しくされていた方をお呼びして…

松原 最初は家族だけでと思っていましたが、この頃プラスアルファが浮上してきました。

鷲塚 と言いますと?

松原 友人ですね。「お前はプラスアルファに入れてやる」とか「あんたの方が先に逝きそうだから入れてやらないよ」なんてやっています。

鷲塚 ここだけの話ですが、リストは何人くらいになるのですか?こっそり教えてください。

松原 対談でこっそりもないでしょう(笑)。私は親族が少ないですから、40人?マックスで50人でしょうか。 私は公職に就いていましたが、その時のお付き合いは徐々に減るでしょう。送っていただきたい方のリストを考えていると、 これからこの人達とどんな付き合いをしていくべきかがよく見えてきます。

植木 ところで松原さんのように責任あるお立場を経験された方のご葬儀は、どうあるべきだとお考えですか?

松原 いえ、私などは…。私自身の葬式は、いまお話ししたようなものを考えていますが、ごく個人的な感想を言わせていただくと、 これみよがし的な葬儀はどうもあまり粋ではないなあと。

鷲塚 でもお立場のある方は、どうしてもこれみよがし的になってしまうものではありませんか?

松原 そう見えないようにするんです。抽象的になりますが、上品でスマートであるということです。ご遺族はもちろんのこと、 参列される方々にも十分に配慮がなされているような…。お花は白菊だけで統一されていたりすると、シンプルだなあ、 趣味がいいなあと感心します。お涙頂戴式の過剰なナレーションは好きではありません。故人をあまりにも美化するような言葉も。 さらりと行った方がいいように思います。

人に迷惑はかけん。と言いますが…。

鷲塚 私は祖母を亡くしたとき、ご近所の方の手を煩わせるのも…という思いから、ある会館で葬儀を行いました。 それで、便利は便利だったのですが「これでよかったのかな」とちょっと淋しさも覚えたことを思い出しました。

松原 送る方も、送られる側も…本人は分からないわけですが、人生の締めくくりとしての意思は、 医療も含めてはっきりしておくべきかもしれませんね。財産のことばかりではちょっと淋しい。

鷲塚 よく耳にするのが「子どもに迷惑をかけたくない」という言葉です。でも子どもにしてみれば、 親を送ることが本当に迷惑なのかは疑問です。

松原 介護の問題を含め、子どもや家族に迷惑をかけたくないと考えるのは、私たちの世代にすごく多い。 それは自分が親の世話を見せさせられたからです。その割には子どもに面倒を見てもらえない世代かもしれません(笑)。 いまの人達は「人に迷惑はかけん」と言いますが…

鷲塚 実際には、かかってくることも多い。

松原 そのくせうまくいかない事があると、政治が悪いとか行政が悪いとかの責任転嫁をします。何でも手順通り、 自分の思うようにして欲しいというエゴがある。それはマニュアルに頼る世代からかもしれません。

お葬式までマニュアル化?

鷲塚 マニュアルに頼ると気楽ではあるけれど、マニュアル通りでないと、もうどうしていいかわからない人も…

松原 子育てまでマニュアル化したために、ストレスをためて幼児虐待をしている若いお母さんも残念ながらいっぱいいます。

鷲塚 考えてみれば、現代ではさまざまな事がマニュアル化されている気もします。

松原 例えばファストフードの店。効率や経営を考えた上で完成されたものなのでしょうが、 あの計算機みたいなものでちょこちょこっとやられると、どうも味気ない。 ヨーロッパへ行くと、15〜20分もかけて料理を注文するのがふつうです。注文を受ける人は料理やワインの事を知り尽くしていて 、実に適切なアドバイスをしてくれます。ファストフードの店とヨーロッパのレストランを比較するなとお叱りを受けそうですが、 料金だけの問題だけではない気がします。

私は葬式のマニュアル化は反対ですね。
心がこもっていない気がするんです。

鷲塚 お葬式もマニュアル化していると聞きます。

松原 まるで結婚式のテーブルクロスや花を選ぶみたいに、機械的に段取りが進んでしまう。私は葬式のマニュアル化は反対ですね。 心がこもっていない気がするんです。家族、そして参列する人たちに時間をとらせては申し訳ないという配慮からかもしれませんが、 人間の最後の尊厳を表現する場ですから、片付け仕事のようにこなすべきではないように思います。

植木 日本人の心のDNAなのかもしれませんが、心の奥底にお寺さんがあり、そこで家族に囲まれて送られる… そんな安心感のようなものを人は求めているのかもしれません。

松原 その通りですね。やっぱり最後は家族に看取られて、そして縁の深いお寺さんなどで見送られたい。 いろいろな事情はあるにせよ、それが日本人の本心であるような気がしてなりません。

人生の総決算を考える。

鷲塚 きょうは、いろいろなお話を伺いました。親子の関係、家族のこと、命のこと、そしてお葬式のことも。

松原 私は肉体的にも精神的にも体を酷使して生きてきましたから、余命はあと10年ぐらいだと思っています。 10年と思っているから最後の10年間をどう生きるか、人生の総決算をどう送ったらいいか考えます。 人間としてその事を考えると、思索を深くします。思索が深くなれば行動も変わり、より充実した人生が送れると考えているんです。 その割には「きょうはまだ10年のうちに入っていないな」みたいな事を思うんですよ。10年は明日からだと(笑)。

植木 松原さんはおいくつになられましたか?

松原 73です。

植木 まだまだじゃありませんか。10年を考えるのはまだ早いですよ。でも、時々立ち止まってこれから先の人生を考えることも大切なことですね。

松原 ただ漫然と暮らすのと、そうでないのとでは大きな差が出ると思います。

鷲塚 きょうはありがとうございました。これからもますますお元気でご活躍くださることを願っています。

松原 ありがとうございました。

松原武久
松原武久

昭和12年生まれ。愛知県尾張旭市出身。
愛知学芸大学(現愛知教育大学)卒。
小中学校教員、校長を経て平成7年名古屋市教育長。平成9年に名古屋市長に就任し、以降三期連続名古屋市長を務める。
就任直後に藤前干潟の埋め立て問題に直面。以降、ごみ・環境対策に意欲的に取り組んだ。また、教育関係、特に歴史的文化関係の事業に力を注いだ。

植木広次
植木広次

名古屋市出身。
学生時代は葬儀社で下宿修行を積み、卒業後も各葬儀社で経験を重ねる。平成4年東海典礼株式会社代表取締役就任。
その後、グループ展開し、平成14年よりグループ代表に就任。

鷲塚美知代
鷲塚美知代

元CBCアナウンサー。
大阪府出身。立命館大学文学部卒業後、
昭和62年中部日本放送株式会社アナウンス部入社。
平成6年フリーとなる。
名古屋市の市政広報番組を長く担当。
現在、各種式典・シンポジウムの司会などをつとめる。